未完成トリコモナス
随想録
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RECOMMEND
「愛の本質。 迷い道くねくね」  ――「芸者東京」訪問記―― 
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2012年1月13日(金)

 

乾燥日が続いている。

カンソウと言えば幕末の鍋島藩主、閑叟(かんそう)。

アームストロング砲が空腹万才の祝砲をぶっ放す。

空腹もいいがおしめりが欲しい

などと思っていると心友・出馬康成から電話が入った。

東大出のモバゲー会社「芸者東京」社長 田中泰生のところへ一緒に行かないか

との誘いであった。

出馬をオジキと呼ぶ泰生はかつて俺という存在を最も容赦なく言葉でえぐった若者であり、

それ故、

泰生に「死ね」といわれれば殉ずる気持は今も変わらない。

 

あれから何年たったのだろう。

三四郎池で愛の本質について語り合った日を懐かしむ。

久し振りの再会を前にまずは腹ごしらえだ。

牛どん¥240.所持金ぴったり丁度いい。

「進化する味」の宣伝文句に釣られてか

松屋は混んでいた。

席に座ってチケットを渡す。

すると隣の客が席を立った。

カウンターの上には白菜の漬けものがまったく手をつけられず

そっくり小鉢の中に残っていた。

漬けもの食う人食わぬ人、

世の中さまざまだ。

 

「名もなく貧しく美しく」の松山善三は漬けものが大嫌いであった。

大女優高峰秀子は松山のプロポーズを受けて結婚するが

夫の漬けもの嫌いをあとで知り、

大変困ったという。

デコちゃん、漬けものは嫌いというよりむしろ好きな方であった。

 

名もなく貧しく醜い私はというと

漬けもの大好き、

特に白菜の漬けものには目がない。

私は隣の客が食べ残したお漬けものを横目でじっと凝視、

よだれを垂らしてすきをうかがった。

大勢の客をさばく二人の店員は大いそがし。

片付ける前に片付ける。

一度ハシを着ければ二度も三度も平気だった。

 

はたして味の進化はあったのかよくわからないまま、

店を出るとさっき隣りにいた客が手をひらいてたちふさがった。

「漬けもの代、50円。」

と云われ、

私はあっけにとられた。

払わなければ無銭飲食で警察につき出すとまで云われ、

その男が無性に好きになったが

生憎金もなければ時間もない。

夜8時半、

出馬の待つ本郷三丁目へ、

まとわりつく男を振りきって急いだ。

 

「芸者東京」はフットサルができるほど広かった。

社内モードはちろりん村かホビット村か、

ありらこちらにケガレなき若者たちがたむろして

大ヒットゲーム「おみせやさん」の次の着想に花を咲かせていた。

堅苦しい朝礼も社是もなさそうな和やかな雰囲気にすっかりくつろいでいると一人の若い女が近づいてきて

「私の悩みを聞いてくれますか」。

早穂(さほ)という人間加湿器のような肌のみずみずしいその女を前にして、

思わず「俺の悩みも訊いてくれ。」

と私は叫んだ。

 

話が佳境に入ると思ったのか

泰生社長は二人の社員を呼んだ。

一人は口もとが井上ひさしそっくりの小橋ダイスケ。

もう一人は南方熊楠のような眼をした森テツアキ。

それから何をしゃべって、何を聞いたか、

まったく覚えていない。

何故だろうか?

 

またしても昔の女との佳き日々を想い出し、

迷い道くねくねと「神々の黄昏」にうっとり耳を傾けていた。

 

泰生よ、

早穂よ、

ダイスケよ、

テツアキよ、

それに「地獄の黙示録」について熱く語っていた若者たちよ、

ありがとう!!

 

折角もらった名刺がない。

置き忘れたのかも

と別れ際出馬に告げると心友は

にっこり笑って闇の中の光となった。

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「カンシャク玉の鳴る方へ  ウラジオストックから来た女」
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2012年1月9日(月)

 

望月敏子様

 

1月4日のことです。

仕事始めとは言っても仕事というものを不幸の代名詞と思っている僕は、

年始の挨拶まわりをする相手が誰もいないことをそこそこ誇らしく、

でもちょっぴり淋しく思いながら、

ぶらり街にくり出すことにしました。

 

明治通りを池袋から新宿へ向ってゆっくり歩いて小一時間、

新田裏の交差点に差しかかった時、

何かが破裂する音を耳にしました。

何の音だろう、

その音はどこから来たのだろうか

などと考えているうちに急に眠くなってきて、

体からどんどんエネルギーが抜けていくような気分。

 

どの位の時間が経ったのでしょうか、

目の前に幅広で高価そうな受付カウンター、

そのすぐ奥に座って笑顔でかしづく受付嬢のすべすべとまばゆく輝いている白い肌にすっかり眠気は飛んでゆきました。

 

「あのウラジロの件ですね。

 今日、あなたで13人目です。」

と受付嬢に言われて、

何のことかよく分からず、

正月そうそう今年も面白くなりそうだと一人ほくそ笑んだのでした。

 

事の真相はこうです。

門松やしめ飾りなどに使うお正月の飾りものには欠かせない「裏白」(リハクではなくウラジロと読みますね)。

シダの葉のことですが、

シダの葉は裏返すと銀白で、

古い年のいやな事は皆んな御破算にして新しい年を迎えるために白はとても重要な色なのだそうです。

 

受付嬢いわく、

会社の入口にある門松の飾り付けをいつもの業者に頼んだところ

作業人としてロジェストヴェンスキーという名のロシア人がやってきて手際よくこなしてもらって、

いざ請求書を見ると例年より200円安くなっていたそうです。

 

年が明けて、

仕事始めの1月4日、

朝から通りがかりの老人がつぎつぎにやってきて

「裏白の色がおかしい」

と同じ忠告をするので

その度に忠告者と一緒に外に出て「確かに」と

何度も同じ言葉を繰り返したのだそうです。

 

受付嬢は僕の年格好をみて

まだ何も言っていないのに13人目のクレーマーだと思ったのです。

帰りがけにチェックすると「確かに」シダの葉は表も裏も緑でした。

これではウラジロになりませんね。

 

ウラジロならぬウラもオモテもミドリのシダの葉を門松に飾った会社の名は日清食品。

飾り付けをやったロシア人の名前は

そういえばバルチック艦隊の司令長官と同じですね。

 

その後、

歌舞伎町のラブホ街をうろついていると

スコブル付きのロシア美人に声をかけられ、

甘露なひとときを過ごすことになるのですが

そのナターシャというロシア女の体を裏返すと

銀白色の鱗光に目を奪われ

耳は得体の知れぬ爆発音につん裂かれるのでした。

 

P.S. 2月7日、巣飼ママ優の紀尾井町ホール

   目黒川さんは「喜んで」と

   居酒屋の店員のような返事をしておりました。

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「愛国少女」をどうぞよろしく 
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2012年1月8日(日)

 

高樹一生様

 

あらためて本年もよろしくお願い申し上げます。

 

却説、

小泉監督の次回作の件ですが、

昨日口頭で提案させて戴いた前田慶次郎物語、

果してどうしたものかと

一晩寝て起きてランチして、

はたと考えております。

 

たとえ「明日への遺言」から4年半経ったとは云え、

それをブランクと云うのは何か軽々しいような気がしてなりません。

企画が通りやすい、出資者を募りやすい、観客動員も充分に見込める

という理由だけで小泉監督が動くようにはとても思えないからです。

 

「花の慶次」は三池崇さんあたりに任せておけばいいような気もしております。

そうは云っても前田慶次郎という戦国武将の魅力はなかなかに手放し難いものがあります。

「人生の大義」という観点から云えば戦国最大のヒーローは

立花将監(しょうげん)宗茂を除けば前田慶次郎ということになるでしょう。

 

僕の個人的嗜好で述ぶれば、

岡田資中将のあとは本間雅晴中将をやってほしかったと思います。

あのバターン死の行進を指揮した罪で銃殺刑になった本間中将のことは角田房子の「いっさい、夢にござ候」という本で知りました。

さらに進めれば

A級戦犯広田弘毅となります。

広田弘毅は城山三郎の「落日燃ゆ」を読んで

スゴイ人間がいるものだと感動したことを思い出します。

 

自分の言動に自らの命を賭して責任を持つというリーダーがいない我が国の今を憂えるとき、

尚更に強く思う次第であります。

 

今、僕はユゴーの「レ・ミゼラブル」とプルーストの「失われた時を求めて」をごちゃごちゃにして読んでおります。

そこでふと思ったことですが

江戸時代の陰険な悪人鳥居耀蔵を主人公にした映画なぞは如何でしょうか?

 

司馬さんが世に出るにあたって最も力になった海音寺潮五郎に「悪人列伝」という本がありまして

その中でも極悪人の確信犯サイコパスとして散々に扱われている人です。

幕府の目付人、鳥居耀蔵(ようぞう)は大塩平八郎の罪状書をでっちあげたり、

高野長英や渡辺崋山を「蛮社の獄」で自殺に追い込んだり、

海音寺さんでなくても怨まれても当然といった悪人なのですが、

この人を通して「正義」とは何か

を探るのも面白いかもしれません。

 

今、僕は

「愛国少女“憂憤”」

というシナリオを書いています。

 

ある朝まだき、もやの中より白装束の少年が姿をあらわす。

決然としたまなじりの見つめる行方にかすむ皇居。

清廉なる挙措はあたりの静寂に包まれてすがしく、

弓と刀を抱えた腕が躍動する。

 

宙を舞う白木の箱を射抜く一本の矢。

箱は割れ、

生首が地に転がり落ちる。

生首にかぶさる少年。

おびただしい鮮血が生首を染めてゆく。

少年のまっ赤な血を吸って赫尖(かくやく)と昇る日輪。

 

こんな書き出しで始まる「憂憤」の主人公は17才の少女。

その恋人が父を殺して皇居前で自決する。

 

少女の父は日本正義の護衛府にして大聖堂、その検察庁のトップ、検事総長。

少年の自決に呼応するかのように少女は靖国神社を燃やします。

この国を愛するあまり義憤を以ってたちあがった少年と少女。

 

深沢七郎の二の舞になりそうですね?

 

しかし、

今、

映画に求められているのは涙でも笑いでもないような気がしてならないのです。

究極のエンターテインメント、

それは価値観の転覆!!

今年も世界転覆社、

たった一人でもやります!!

 

という訳で、

今年もよろしくです。

 

                    2012年1月8日

                         ギー藤田
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「O氏への欠礼、そして森田芳光の死」
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2011年12月24日(土)

 

クリスマス・イヴだというのに何のイヴェントもない。

だから暇つぶしに書くと思われるとそれは大間違い。

今日の私はいつもと変わってとても真面目で、厳粛なのだ。

 

今、俺の頭の中でぐるぐる廻って、

なかなか消えないものが二つある。

 

ひとつは12月21日(水)、

この「未完成トリコモナス随想録」に書いた内容のことである。

あれは果して礼を失してはいまいか?

 

12月20日、

高田馬場改札で夕方6時 3人は集った。

「週刊読書人」編集長明石健吾の案内するまま、

さかえ通りの飲み屋「双葉」に入ってほぼ2時間、

相当盛り上った話のネタもそろそろ尽きて店を出た。

もう一軒という気分でもなかったが、

お茶するぐらいの心残りは3人ともあったのだろう。

煙草の吸えるルノアールはどうかと明石は言ったが、

すぐ目の前にあるガード下の店でいいじゃないとO氏。

明石と俺は一も二もなく従った。

 

3人は皆、ブレンドのホットコーヒーを喫煙エリアですすることになるのだが、

一つの話題の腰がすわるかすわらないうちにO氏の様子がちょっとおかしいことに気付いた。

いつも気付きの遅い俺、

もう「双葉」の後半でその予兆はあったのかも知れぬ。

レジの前にある手すりに上半身をよろよろと預けるとO氏の口が粘土細工のように動いた。

まだ乾ききってない粘土の口が勝手にモゴモゴと遠慮がちに音をたてた。

次に何が起こるか想像できたので俺は

返却台の上に置いてあったナプキンを手に取ってO氏の口に当てようとしたが、

ナプキンは生憎汚れていた。

ほどこす術を見つけられぬまま立ちずさんで、

O氏の口もとを注視した。

集中豪雨で川の堤防が壊れるように、

O氏の口はもはや抵抗これまでといった感じで決壊した。

 

店を出ると、

濁流が運んだガレキはすっかり処理され、

O氏の口はもとの涼やかな安定をとり戻していた。

地震・台風・川の氾濫など

猛威をふるった自然災害や血を血で洗う戦闘の後にはきまって、

さっきまでの煉獄が嘘であったかのように雲ひとつない青空が大地をおおう。

 

別れ際、

何度も何度も「すまない」を繰り返し、

最后に「今日はありがとう」の言葉を残して雑踏の中へ悠然と消えていったO氏の帽子は

ルネ・マグリットの青空だった。

 

乃木将軍も大岡昇平の「花影」も

まったくの理由なき無出自の引用ではない。

とはいえ、

安否の気遣いが、

その衒いを隠すために妙にまわりくどく、

手前勝手な引用で自己韜晦するとき、

そこには思いもよらぬしっぺい返しが潜んでいるということをまざまざと思い知らされた。

 

こういう時は

「あれから大丈夫でしたか?

 心配してました。」

とストレートに云うべきだったのだ。

 

さて、

O氏の知られざる華影」を書いたあと、

伝えたい思いがまったく逆の意味に作用しかねはしないかとの疑念で頭の中が一杯になっていた時、

森田芳光の訃報が入った。

 

今から40年前、

4帖半6000円の杉並区松の木の下宿先に森田から電話があった。

「君の「未完成トリコモナス」と僕の「映画」をもって

 一緒に女子大巡りをしようと思うんだが・・・・」

 

その時すでに俺は、

森田芳光の「映画」という8mmフィルムをみていて名状し難い印象を持っていた。

その森田からの誘いにどうしたものか

と迷いながらも正直ちょっと

嬉しかった。

 

聖心女子大から始まって三〜四校まわる予定であったが

俺の処女作「未完成トリコモナス」は聖心な女学生の大ヒンシュクを買ってしまったらしく、

数日後森田から下宿先にTELが入った。

「藤田くん、

 悪いけど次からは無しにしていい?」

俺は理由を訊かなかったが察しはついていた。

 

もっと女子大巡りをしたかったなあ

という後悔を残して半年が経った頃、

森田からまた連絡があって、

アレを四谷公会堂まで持って来てくれないか

と言うではないか。

 

満員の会場に集まった森田芳光ファンの熱気につつまれて

「未完成トリコモナス」は幸せだった。

森田よ、有難う!!

 

森田芳光と言えば漱石の「それから」だ。

森田よ、

59年後に迎えに来てくれるかい。

それまで俺は待ってるぜ!!

 

人間120年の旅は

まだまだ続く・・・・・・。

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「O氏の知られざる華影」
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2011年12月21日(水)

 

目黒川春秋様

 

昨晩、

「読書人」の明石氏と高田馬場の「双葉」という焼き鳥やでささやかな忘年会をやりました。

二人だけかと思ってましたらもう一人

初老の強者がいたようです。

いたようですとは甚だ覚束ない話ですが、

僕はまたしても3日間の無為無食のせいか、

腹は空っぽ頭はせんもう状態でありました。

ですから、

もう一人いたのかいなかったのかはっきりしろと云われても

ここはいたようです

というしかありません。

 

いや、

強者がいたというからにはやっぱりもう一人いたのです。

その強者は一体、

何が強かったのでしょう?

多分けんかではなさそうです。

そのお方の顔は明治の軍神を彷彿とさせました。

西南戦争で軍旗を西郷軍に盗られたり

日露戦争の旅順攻略では児玉源太郎が応援に駆けつけなければ203高地を陥とすこと能わず、

ましてや水師営で敵将ステッセルの前でいい格好しいも出来なかった、

でも明治天皇の信厚く

漢詩に長けていたというあの

乃木希典に顔がよく似ていたのです。

乃木将軍に顔が似ているということが即けんかが弱いといっていいものかどうか疑問でありますが、

世にご尊顔という顔があるとしたらまさにその見本のようなお顔であったことは確かであります。

 

前説が長くなったようです。

実は、

そのお方は滅法酒が強かったのです。

店に入ってしばらくはあたりを睥睨するが如く面持ちゆったり、

しかれども、

飲み始めるとひとり手酌でぐいぐいとまたたく間に酔虎に変貌していったのであります。

すっかり目は据わり

この世の地獄という地獄をすべて見てきたような顔になり、

そして軍神が落ち武者になって幽明境をさまよっているような顔になっていったのです。

 

翌朝、

始発の電車の一両丸ごとゲロ洗器にして40年振りに快活を味わったのはもしかして春秋様、

あなたのドッペルゲンゲルではなかったのでは?

その名もO氏、

大岡昇平?。

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「心の常備薬」
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2011年12月14日(水)

 

病は気からと誰が云ったのか

寺山修司じゃないことはたしかだ。

12月10日 寺山の命日。

 

「今日ここに来て、

今、ここにいるすべての人達よ。

 あなたたちの今日の困難は 明日の光だ!!

 

こう叫んだのは天井桟敷の看板女優

新高恵子だった。

天使のアカペラ「幸せを売る男」

御年80にもなろうと云うのに、

驚嘆すべきその声の若さ。

 

こことはすなわち「初台ドアーズ」、

制服向上委員会のホームグラウンド。

都会では心の衣々(きぬぎぬ)を頼みもしないのに勝手に脱ぐ少女達がいた。

その歴史17年。

アイドルの原点。

心のストリッパー。

その名も制服向上委員会。

小屋の主は誰か?

映画監督と云えば今村昌平、

アイドルプロデューサーと云えば高橋廣行。

秋元康なんかではない。

 

「何でも通る水戸街道

 喰って吐き出す台湾金魚

すぐ帰る護国寺の鳩」

これ皆んな麻雀慣用句。

毒と笑いの発光体高橋元帥から久し振りにお声が掛った。

「ヒマなら新宿まで大砲撃ちに来い。

 28サンチ砲を引っぱって203高地を震撼せしめよ。」

 

深夜1時

麻雀は終った。

今夜も雀鬼の牙城203高地はびくともしなかった。

私の28サンチ砲の弾は最初から空だったのだ。

一個の不発弾すら持ち得ぬこの図太さよ。

 

いくらなんでもそろそろだ。

愛想の終着駅。

かけがえのない友を失うかも知れぬ不安。

こんな不安に打ち克てる薬は?

またしても「心の常備薬」の出番がやってきた。

早稲田から三ノ輪までの都電を歩いてやってきた。

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「丸ビルの麗人」 
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2011年12月8日(木)

 

今日は雨。

雨の日は何故だろうか

いつも心が空腹で充たされる。

このまま動きたくない。

空腹でいることがとても心地よいのだ。

 

だがそれも夕方近くなると一変して

有楽町線に乗って所沢のちょっと先にある小手指に向っていた。

 

小手指の駅前に行きつけの果物屋があり、

そこのご主人から「そろそろ」だから来い

という電話が3分前にあった。

世間からほとんど用無し扱いされている私にもたまにこうやってお声がかかる。

有難いことだ。

 

店の前で立ちずさんでいると奥さんが

「ハイ、これ4個で198円。

 どうせ今日も文無しなんでしょ。しょうがないわね。

 さあ、とっとと帰って。」

 

いつものことながらつれない。

実はポケットには珍らしくサンマが3匹出番を待っていたが

人の厚意を無にすることもあるまいと

スリスリして黙らせた。

 

プラットホームで電車を待ちながら、

ビニール袋の上から中の様子を指でなぞる。

なるほど、たしかに「そろそろ」だ。

 

牛肉も人間も腐りかけが美味しいと言うが

果物の中にそれがピッタリあてはまるものがある。

ラ・フランス、

すなわち洋梨。

あれは腐っているのではなく熟しているのだ

という人もいるが、

労少なくして仕入れた洋梨を待っている人がいる手前、

腐熟の問答はさておこう。

 

東京駅の丸の内口から皇居に向って連なる地下街のまったく人気のないスポットで

その人は待っていた。

世の中にこんなにも横顔の美しい人が他にいるだろうか

 

久し振りに拝むその美しいお横顔。

洋梨を見せるとその眼は輝き

口許はほこほこ音をたてた。

丸ビルに棲む麗人はラ・フランスが大好物で

私が出逢ったきっかけも

そのラ・フランスであった。

 

あれからかれこれ10年が過ぎたであろうか。

クリスマスが近づく度に想い出すラ・フランスのルフラン。

 

「そう言って私に近づいてきた男の人は何人もいたわ。」

まだ何も言ってない私に

その麗人が最初に口にした言葉である。

 

2002年、

三菱グループのヘッドタワーである丸ビルがリニューアルされた年のことであった。

5Fのレストラン「小岩井フレミナール」でランチをとっていると

すぐ横のテーブルで洋梨を皮ごと食っているすこぶる付きの美人が目にチラついて

小岩井農場で獲れた恵みがうまいのかまずいのか

さっぱりわからなかった。

 

人かたわらに無き振る舞いとにじみ出る気品からして

余程のお人に違いない

と思った。

 

私は人を観察するのは好きであるが、

逆は気がそわそわしてどうもいやだ。

そのお人は私を品定めするようにじっと見つめてから

ふっとため息をもらして微笑んだ。

私はその当時からたしかに用無しであったが

また洋梨には目がなかった。

洋梨好きは互いに気配でわかるのだろうか?

 

私はそのお人に良い印象を持った。

するとまもなく

私のテーブルの上に千疋屋のラ・フランスが乗せられた。

そして、

私はまだ何もしゃべっていないのに

「そう言って私に近づいてきた男の人は何人もいたわ。」

と麗人は云ったのであった。

そして麗人はつづけた。

「そんなに同情してくださったのはあなたが初めてです。」

 

私はたしかに好感は持ったが

その先の感情はまだ無色であった。

 

                       つづく

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「もういくつ寝るとお正月」
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2011年12月6日(火)

 

目黒川春秋様

 

ほんとうに久し振りにテレビを見ました。

見始めるとずっとダラダラそればっかり、

ようやく飽きてスイッチを切ろうとしたその時、

中途半端に年を取った女が「粟」を「くり」と誤読したことに敏感に反応してしまい

その田代という女がもうひとつぐらい間違いをきっと犯してくれるだろうと期待してカタズを飲んでそれを待ったのです。

 

番組名はNHKの「ひるぶら」です。

デザイナー粟津潔を新進デザイナーといって紹介してまして、

粟津さんは僕の学生の頃から活躍しており、

今さら新進でもないだろうに。

とか

西郷隆盛の弟、従道を「つぐみち」と読めなくて、

ただ弟とだけ云ってみたり、

厳密に云えば間違いではないかもしれませんので、

がっかりして腹イセまじり、

NHKにTELして文句を云ってやりました。

 

知性も教養もない女性にナビゲートされる視聴者は不幸であります。

それほどの知性と教養を持ち合わせていない僕もその時は素直に不幸だな

と感じてしまいました。

 

でもそのあとすぐに

クレーマーになっている自分はとても幸福だったような気がします。

人の犯したミステークをあげつらう快感。

それはそれで愉快です。

 

がしかし!!

こんなどうでもいいことをブログに書いている自分はなんてつまらない不幸な人間なのだろうと

嘆きの天使になってしまっている。

嘆きの天使だなんて云っちゃってちょっと格好いいじゃない

などと思って、

また幸せになったり。

一体どっちなんでしょう。

昨日の貴兄の「幸福度」を味わい深く読みながら

考えてしまいました。

 

今日の今の段階で私がそうじゃないだろうか

と云えることは次のとうりです。

 

「真実とか永遠が瞬間的に存在するように

 幸福も瞬間にだけ訪れる」

のだと。

 

相変わらずつまらないことしか云えない自分に

もうヘキエキしてクリスマスもお正月もお預けですね。

 

.. 明石君を交えての忘年会、

   いつ頃がよろしいでしょうか。

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「夜の回遊魚」 
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2011年12月3日(土)

 

これは映画のあらすじとしても、

また、

短い小説としても体を成さない半端なものである。

 

   出演者

    一万円札

    千円札

    人間の欲望

 

誰が呼び始めたのか、

東京の東のはずれのある街では一万円札をマグロ、千円札をサンマと呼ぶ習わしがあった。

普段、マグロとサンマはあまり仲がよくなかったが 

週に一度だけ仲睦まじくお出かけする日があった。

それはほとんど週末であったが

時として平日のこともあった。

時間帯は決まって真夜中、

人々が深い眠りに就くころ店の安金庫の中で背中を向けあったまま、

じっと出番を待つマグロとサンマ。

お金にはお足が付いているので散歩はまかすにしても一体金庫のカギを開ける手はどうなっているのだろう。

ここはひとつ人間の手を借りることにしよう。

 

およそこの世に、

金の嫌いな人間などいないはずだ。

人間の欲望のなかで金銭欲ほどかぎりないものはないのではあるまいか。

金さえあれば他の大抵の欲望を満たすことができるとなれば

それも自ずとうなずける。

 

ジェイアール山の手線鶯谷駅プラットホーム。

金に魂を売った男が始発電車の到着を待っている。

この男の際立った特徴といえば、

人生における成功の果実をいまだ一度も味わったことが無いということであろうか。

終わりよければすべてよし、

というが、

この男の場合は、

すべり出しと途中まではまあまあだが終わりのまずいことと言ったらなんの、

生まれてこのかた上手くいったためしが無いのだ。

それは傍から見ていても可哀相で同情を禁じ得ないくらいであった。

プロセスはいいのに

どうして結果がいつも伴わないのだろうか。

オッパイよりマーパイがすきなどという性癖のせいなのだろうか。

朝まだき人のいないプラットホームに佇んで、

他愛のない理由づけをしていると始発の電車がやってきた。

 

丁度そのころ、

金庫から躍り出たマグロとサンマは回遊魚となってプランクトンをあさっていた。

餌の深追いが過ぎると金庫のカギを開けてくれたご主人様の財布から他人の財布に飲み込まれたりする。

あぶない!危ない!

ご主人様はばくち狂いであった。

ご主人様は店を任されているだけでオーナーではなかった。

本当のオーナーは始発に乗り込んだあの男で、

必ずといっていいほど山の手線をうとうと眠って三周する。

雇われ店長の昼の顔しか知らないオーナーは彼を信用して店を任していた。

最初は問題なかったが

そのうち店の売上げがあわなくなってきた。

夜間金庫よりも店長の人間を信じていたオーナーは

それでも店長を疑わなかった。

マグロとサンマだけがその事実を知っていた。

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「極東スペルマ裁判」に長蛇の列
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2011年11月29日(火)

 

あなたはあなたであるがあなた自身でないように

私は私であるが私自身ではない。

 

裁判官 「被告人が犯行現場となる東逗子へ行くことになったきっかけ、   

     それは何ですか?」

被告人 「豚寿しが食べたくなったからです。」

裁判官 「トンズシというのはどんな食べものですか?」

被告人 「食べたことないんですか。

     あれは絶品、とにかく信じられないくらい、

     なんというか世界がひっくりかえるほどの精がつくんです。」

  ぎゅうぎゅう詰めの傍聴席からあくびがもれた。

  

  私の犯した犯罪は重く 死刑判決は覚悟していた。

  なにしろ死者731人の大惨事の下手人なのだから。

  やがて執行される絞首刑のことより何より、

  大川周明に似た傍聴人から、いつ頭をひっぱたかれるか

  それだけが心配の種だった。

  私がいくら表現結社「世界転覆社」の総裁だからといって

  目の敵(かたき)にされたらたまらない。

  池袋サンシャインの跡地に復活した巣鴨プリズンは血に飢えていた。

 

事件のきっかけは、知り合ったばかりのアパレルデザイナーのタケちゃんから、ホームパーティの誘いを受けたことからだった。

その時、私は3日間何も口にしていなかった。

 

瀬戸内寂聴は若い頃、

7日間断食したことが今の長寿になっていると云っている。

それに較べれば3日間など、どうということはない。

しかし私は今61才、

いくら人間120年と云ってみたところでもう若くはない。

 

東逗子を豚寿しと思ってしまったのはすべて空腹のせいだった。

 

その日もランボーのようにキセルを決め込み横須賀線の乗客となった。

ランボーの不正乗車はあっけなくつかまってしまって「地獄の季節」めぐりが始まったが

私のそれは失敗率3%、100回のうち3回、すなわち成功率97%、

これだけは自慢の物種である。

 

タケちゃんの家は、ギャラリー「招山」のオーナー稔ちゃんや

鎌倉彫りの漆やヨースケ君、画家の緑ちゃん、南インド風のカレー屋夫婦など

10数名でにぎやかだった。

 

ベトナム風春巻き、トーフステーキ、湘南風パエリア、かぶのバター焼きなどなど

空腹だったからだというわけでもあるまいが、

どれもこれもうまかった。

でも何よりの御馳走はタケちゃんの奥さんの色っぽさだった。

 

帰りしな、

稔ちゃんが「帰りはキセルしないように」と云ってお金をくれた。

よく見ると、サンマ(千円札)じゃないマグロ(万札)だった。

「こんなにいらない。」と云うと

「まだお腹減ってるでしょ。

 せっかく東逗子まで来たんだから、トンズシでも食って帰れば。」

稔ちゃんはどうしていつもこうやさしいのだろうか。

 

「トンズシ」専門店は東逗子駅のそばにあった。

のれんをくぐって中へ入ると豚がまるごと何頭もつるしてあった。

 

「いらっしゃぁ〜い。」

声の主はさっき手を握って別れを惜んだばかりのタケちゃんの奥さんだった。

そのすぐ後ろに緑ちゃんがいて

「うちの母豚の乳首の数は11個あるのよ。」

といった。

 

奥さんが近づいてきてそっと耳もとでささやいた。

「うちの寿しはまずシャリからして違うのよ。 

 トンズシを一杯食べて一杯出してね。」

トンズシなるものの味はどうだったのか、はっきり覚えていない。

 

気がつくと横須賀線の電車に向って爆走していた。

鉄路に放出された大量のスペルマに列車が車輪をとられて脱線転覆するのはそのすぐ後のことであった。

 

今、私は巣鴨プリズンの独房で

若い頃見そこなったアベル・ガンスの「鉄路の白バラ」がこんなストーリーだったかどうか

確かめることの出来ぬ人生を悔んでいる。

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